白雲の道

[No.15]命

Date:2003年08月22日(金)

8月22日(金)
以前インドに放浪や瞑想修行に行っていた事がある。そのとき命についていろいろ考えていた。命はどこからやってくるのだろう。そしてどこに行くのか。そんな子供の頃の素朴な疑問を大人になってあらためて問い直していた。
インドと言う土地が持つエネルギーはそんなことを考えられる余裕がある。街角の路上で眠るように死んでゆく人もそれほど驚く事ではない国では旅行者にそんなことを考えさせられるところでもある。
それから私は命に関してユニークな見方をするようになった。
命は種の中にあるのではない。命はその廻り一面にある。種の中の命が成長して花になるのではなく種を取り巻く周りから種の中に命が入って花になるのだと。
人は生まれてすぐに呼吸し始め呼吸をしながら成長する。その呼吸は命を取り込んでいることだ。花が萎れるように身体が死を迎えるがその時その個性は命の中に戻ってゆく。
女性の子宮に身篭る胎児はまだ呼吸していないがために意識はまだその母親の周りを舞っている。
今日、若き母親が4ヶ月の赤ん坊を抱いてやってきた。お産する前からここに通ってきているNさんだ。
Nさんは子供の頃に腰を痛め大人になった頃はそれをこじらし、その辛い状態の中で妊娠していたため流産を心配して鍼灸治療を続けていたのだ。
軽いバランス調整のための鍼灸治療をした後コーヒーを出して雑談。
Nさんは治療後のコーヒーを飲みながら一息ついている。子育ての疲れからも、つかの間の休息を取っているのが良く分かる飲み方だ。
先生わたし無事に子供を産むまでいろいろなことを考えました。詳しくは話さなかったがその言葉の中に多くの事がうかがえた。おそらく自分の生死の事も真剣に考えたに違いない。彼女の場合祖母が何回も流産をしていた事もあって遺伝子の心配までしていたようだ。
先生聞いてくれますか。私妊娠中のすごく不安なときに子供が4歳ぐらいで遊んでいるはっきりとした夢を見たんです。それはカラフルで空間が生き生きして生きてる感じがしたか。そのとおりです。それは夢でなくビジョンと言うやつだ。
なんですかそれは。子供の意識はまだ外にいて母親を見守っていたんだよ。そしてこれから生まれでる世界をビジョンを投げかけて創造するように準備していた。それをキャッチしたということだ。母親がその子供のビジョンを共有したと言う事さ。
それはいいことですか。いいに決まっている。なぜならビジョンを共有したと言う事は共にその人生を創るということだからだ。
良く分からないけどそれから何かが晴れたように変わった感じがしていました。その表現がまさに的を得た表現だ。一般的に胎児は子宮の中からこの世界を感じていると思われているが、本当はそれ以上だ。すでにこの世界に出るための準備をイメージを使って創造し始めている。そのビジョンに乗る事が出来た親はその子供との幸運な人生が約束される。
何か良く分かりませんが楽しくなってきましたと言って子供を幸せそうに抱いて帰っていった。今日の赤ん坊は珍しく泣きもせず、大の字になって気持ちよさそうだった。