白雲の道

[No.38]支配する者とされる者

Date:2003年09月17日(金)

9月17日(水)天候晴れ
観る者と観られる者、これは東洋の観点だ。西洋の観点は支配する者と支配される者だ。
これには明確な違いがある。西洋はその医学を含めて支配する者と支配される者の観点をとっている。
例えば,手術して腫瘍を取り除く場合、手術をする方はその人を支配的に観る。受ける側は支配される者だ。もし、手術中に手術を受ける側が気が変わって手術をしようとしている執刀医に逆らって暴れたら大変な事になる。
だからそんな事がないようにも麻酔する。それはそれで正しい事だ。この分野は物理的な腫瘍を相手にしているにだから問題はない。
しかしこれが精神や社会に適用されている現状はちょっと大変だ。支配する者は支配される者の手足を手術するがごとく縛ってしまいたい。その方が支配しやすいに決まっているからだ。しかしそうはなかなかうまくいかない。
だが支配者は満足できない。なぜならば不完全な支配は支配する者にとって手術中に患者に文句を言われているようなものだからだ。そんな状態では支配する者は思うように気持ちよく仕事ができない。
だから完全な支配秩序のようなものが欲しい。その気持ちは分かる。それは一種の愛情なのだろう。しかし彼らは精神の世界ではそれは不可能な事である事を知らないようだ。
なぜならば、観る者と観られる者の法則はそれを可能にしないからだ。簡単に説明しよう.支配する者は何を観ているだろう.支配されるものを観ている.では支配される者は何を観ているか.支配する者を観ている.観ている者はその行動とは反対の者を観ている.つまり立場がいつか逆転するようになっているのだ.
もっと簡単に説明してみよう.支配的なだんなは行動は支配的だが,その目で観ているのは支配されている妻だ.支配されぎみな妻はその目で観るものは支配的な行動や言動だ.
その観るものがこれから創造するものだ.ならば30年もすればその形勢は逆転する。
つまり、精神の世界では完全な支配は可能ではない.
週に一回決まってこの午後の落ち着いた時間にやって来るこの日誌の最初に紹介したTさんがやって来た.
軽いバランス調整とイメージトレーニングの後雑談.
以前にも紹介したが彼女は70歳近いが考え方も体つきも若い.若いだけでなく若いときからの精神修行の賜物か気の力が強い.カードで勝負をしてもよく当たるだけでなくその声に気の響き渡る力がある.
雑談の内容は相変わらずジャガイモやトマトなどの本場者の本物味についてだ.最近は人間も地方でその違いがあることに興味を持って観ている.
先生は北海道生まれですね、この千葉県はあまりおおらかな性格を生む土地柄ではないような気がするんですが,先生どうですか.
私はマイペースですからあまり周りが分からないかもしれません.きっと先生みたいな人は周りからするとあまり理解されないのじゃないですか.それは多分にありまりますね、近所じゃ白い眼以外見た事ないって感じですから.
それは大げさだと思いますが,わたしその辺よくわかりますよ。なにやら形勢逆転してきた.
Tさんー今までわたしはたくさんの修行者や有名な鍼灸師を知っていますけど、だいたい40過ぎると何処かおかしくなる。ある人は病気になってしまうし、ある人は暗い性格になったり何処か薄暗い影を感じるんです。きっと病気の人を多く観るとそうなるんでしょうね。
それは私も分かりますよ。と私。先生はそんなところを突破したんですね,わたしも先生のように若い時、インドに行ってもっと修行したかったなあ。
いやいや今からでも全然遅くはありませんよと正直なところを言った。彼女の帰る後姿を見てきっと彼女とは古代の時代どこかで一緒に修行していたのだろうなと思った