白雲の道

[No.40]神と女神

Date:2003年09月19日(金)

9月19日(金)天候晴れ
山の中で大木を切り倒し,その大木を30人程で町まで背に担いで運んでいるとする。その日はここ何日かのように蒸し暑くみんなその疲れで意識まで朦朧としている。
中にはその大木にもたれているだけの者もいるが、がんばっている者もいる。しかし、全体として今にも倒れそうに揺れている。
この時もし神と女神がいるとするとどのように彼らを助けるだろうか。
神は単に雨を降らせるだろう。あるいは怖い神はもたれてぶら下がっているようなものを単に排除してしまうかもしれない。しかし女神はもっとすばらしい事をする。その中で朦朧とした意識の中で目がグルグる回りながらも歯を食いしばっている者に微笑むのだ。
そうするとその者の勢いは不思議にもその全体に波及し、その者たちが町に着く頃彼ら全員がいっそうたくましくなっている。
なぜ目が回りながらもがんばっている者に微笑むのだろうか。それは女神が入ってゆける道があるからだ。ではどうしてその全員がたくましくなっているのだろうか。それは女神が持っている陰のエネルギーは大地から湧き上がり,その周り一帯に形を成す実質的のものを有しているからだ。
無意識と身体の間に観る者と観られる者が陰と陽の関係で成り立っている。自分の身体が強健だと観た瞬間に観られる者である身体はそのように変化しようとする。そして同時に観る者の中に少しずつその強健さが育ち始める。
その観る者とは何だろうか。それは無意識の事であり,それは小脳のことだ。自分の身体が強健であると言う観方が続けられると少しずつ観る者と観られる者の間で単なるイメージから実質的なものへの反転が起こり形のある本物の強健な健康が創造される。
自分の身体が強健だと思うだけでは本物にはならない。しかし無意識の主体である小脳が身体にその力を及ぼし始めると本物になってゆく。
頭の後方で静かに控えている小脳はちょっと小さめではあるが広大な無意識を司る女神そのものの力が眠っている。
今日も時間ぴったりにやって来たSさん。彼は今まで何回もこの日誌に登場してくれている。彼は道理を踏まえ素朴な質問をしてくるのでこの日誌を書く上でも大いに力になってくれている。
軽い調整とイメージトレーニングの後雑談。後に予約が入っていなかったので1時間以上も熱心で愉しい質問攻めにあった。
どうだい。日誌読んでくれている?だいたい読んでいます。犬が旅に出た話や支配的なだんなが何十年かして形勢が逆転する話は面白かったと思います。そうか良かった。
日誌だからといい気持ちで言いたい放題の事を書いたからちょっとまた過ぎたかなと思っていたんだ。いえ先生が乗っているのが分かって面白いですよ。今日も気分良く持ち上げてくれるSさん。何か質問を用意しているようだ。
先生,最近の日誌に古代日本と言うのが出てきますが,いつ頃の時代ですか。いつか来るだろうなと思っていた質問だ。素朴なSさんから来る事はだいたい分かっていた。
私は歴史にはあまり詳しくはない。だからこの事に関しては無責任な事しかいえない。ただこんな事は言える。
私たち子供の頃、特に生まれてから3歳ぐらいまでの記憶がない。どうしてだろう。その時ボケていたのではなく,もっとも能力が高い時であるのにどうして記憶がないか。同じように日本の古代においてどうしてそれを歴史上の記憶にしていないのか。
もし、怖い神が支配する時代であったならモーゼの十戒のように歴史の残るかもしれないが,女神が広大な無意識から実質的な力を及ぼしていたとするとそれは記憶に残らない。
なぜならあまりにもそれは切れがいいのだ。それは過去を残すような生き方ではない。この辺は明日に繋げてみよう。