白雲の道

[No.43]晴れ間を観る

Date:2003年09月23日(火)

9月23日(火)雨
3人の男が初めて富士山に登ったとする。帰ってきたその3人に山の感想を聞いた。一人目の男性はすばらしい景色だったと言う。二人目は思ったよりごみが多かったと言う。三人目は疲れたと言う。
それぞれに理解できる内容だが一人目は内側にもすばらしさを観て来たに違いない。二人目は身体の内側にもごみを観て来た。三人目は外側の世界にも疲れを観た。その人が観る物は観る者つまりその人の中にも観る。
逆にすばらしい者は観る物の中にすばらしさを観る。音楽に才能のあるものは自然の中にも音楽を観るかも知れない。内側に音楽を観ているからだ。世界に怒りと不安を観るものは同じように内側に怒りと不安を観ている事になる。
ではごみや不安や疲れを内側に観ている者は世界にそれらしか観られないのか。そうだ。しかし常にそうではないし、そうである必要はない。視点を変えればいい。
この辺が問題だ。山に行ってごみばかりを観て帰ってくる人はいないし、疲れだけを観て帰る人もいない。しかし、その人によっての傾向はある。
これを身体に置き換えてみる。
自分の身体をすばらしいと感じる傾向の人と痛みや無気力を感じる傾向の人だ。実際自分の身体はその通りなのであればそう感じずにはいられない。しかし、ここにちょっと不思議な事がある。
というのはすばらしいと感じるとなお更すばらしくなる性質もある。逆に違和感や,無気力を感じ過ぎてそれがなおさらそのようになる事もなる。
身体に関してはこの事がけっこう大きな事になる。観る者と観られる者の法則がここにも道理として働いているからだ。
例えば腕に一匹の蚊が止まり刺して血を存分に吸ったとする。小さく腫れ上がっているのを確認し,ひと掻きした。それで十分なはずが,ジーっとその脹れを見つめ痒さが戻ってくるなり今度はふた掻きした。
それでも満足できず,同じプロセスを10回ほど繰り返すとその脹れは30倍に膨れ上がり爪で掻くその掻き方もめちゃくちゃになっている。同時に気分もめちゃくちゃだ。
だれがこのちょっとした脹れを30倍にも脹れあげたのか。それは観る者としての無意識だ。
同じ事を腰痛や自律神経失調症にも言えない事ではない。私たちの意識し,観る事ですばらしい物も辛い事も拡大し自分を超えるほどの大きさにする事が出来る。
ではこの悪循環にも似たプロセスを止めるにはどうしたらいい。薬を飲んでも始まるまい。
昼近くになってある違和感をもって架空の人Hさんがやって来た。
整体法を使って軽い全身のバランスを調整した後雑談。
どうだい気分は。何となくですがいい感じです。でもまだこの辺が何となく幅ったい感じが残っています。前よりもましな感じはする?。はい。前よりは少なくなっているのは確かです。では今日のところはそれで良しとして身体に任せてみるか。そうします。少し様子を見てみます。それがいいと思う。
先生、私のこの症状は完全に治らないもんですか。それは治ると言うより気がついたら消えていたと言う事になると思う。治るのじゃないんですか。
ちょっと難しいが説明してみよう。例えば今日雨が降っているけど明日になったら晴れたとする。その場合雨が治ったとは言わないだろう。雨雲が消えて晴れたけど初めからいい天気は在ったんだ。今の症状は実際の症状は在るけどそれを治そうとすると雨雲と戦う事になる。
それじゃ先生は治そうとしていないんですか。いやいや治そうとしているんだけど晴れ間を探しているんだよ。晴れ間を観るとその晴れ間が何時の間にか大きくなって症状は消えてしまうのさ。よく分からないけど。早く晴れるといいなあとHさんにっこり。