白雲の道

[No.44]古代の遺産

Date:2003年09月24日(水)

9月24日(水)雨
つい最近まで我がもの顔で庭にいた愛犬豆、あいつは今どこを旅しているんだろうか。豆は生後数週間もしないうちに2月の寒い時にやって来た。あまりにも外で泣くものだから私の布団に入れて暖めてやった。それ以来私を親だと思ったらしく大きくなっても丸くなって腕の中に入ろうとしていた。
あまりにもその表情が無垢なものだから以前紹介した娘のももにその絵を油絵で描いてもらった。その絵が治療所の玄関に飾ってある。その表情はその時のそのままだ。今も同じ表情で何処かを歩いているに違いないが淋しいものだ。。
古代日本を思う時私は直感的にすばらしい世界を観る。それは自然の中で動物たちが失わずに持っているあの無垢な眼をして人間としての能力をフルに使っていた世界だ。
それは同時にあの名刀正宗を生む下地を創った精神を生きていたに違いない。どうしてそんな事が私に言えるのだろうか。わたしの娘さえ投げかける疑問だ。
私にさえ明確にわからないが、娘にこのように言った。あの豆の目の中にビューティフルな心が観えるか。観えると言う。そこに疑問の余地があるかと聞くとないと答えた。同じようにあの名刀正宗を創った鍛冶師の心が観えるかと聞く。分かると言う。ならば直感とは何か分かるかと聞くとすごい言葉だと言う。そのとおりだと思う。
彼らは直感を言葉のように使っていたのかもしれない。その名残があうんの呼吸で理解し合う日本独特の表現法だと思う。そんな世界はすばらしかったに違いない。こんな世界は世界のどこにもなかったのではないだろうか。
夕方の夕暮れ時に少女小説家のFさんがやっと頼まれた仕事が終わりましたと言ってやって来た。
鍼灸によるバランス調整をした後雑談。
ここ最近Fさんは仕事に熱中していたせいか治療に来ても治療後1時間以上も眠ってしまう事が多かったが今日は家でよく寝たらしく元気だ。
Fさん、待合室に置いてある今までの日誌をコピーしたものを所々見てほくそえんでいる。
どうですか?いろいろ書いてますね。
最近古代の日本の事についていろいろ書いているんですよ。Fさんはどう思いますか。
Fさん、専門家らしく日本の歴史に対してたくさんの知識をもっている。宗教に関してもすこぶる詳しい。
早速、古代の日本について聞いてみた。Fさんが言うには基本的に古代の日本の記録は後で作られた所があるらしい。日本の最も古い宗教と言われる古神道も江戸時代に形づくられたようだ。早い話が古代日本の宗教は経典らしき物がない。道理や生活の知恵から生まれたものを学問のようにする事に無理があるのかもしれない。それは私と一致する所だ。
彼ら古代の科学がすばらしいものであったとしてその記録がないことに関して過去を濁さない意識の存在を示唆したがこれはFさんも同意するところらしい。
もうひとつ観る者と観られる者の認識について量子力学からの引用はさすが知識人だ。
私の観点は報告されている量子の振る舞いから観る者と観られる者を創造している。しかし西洋の量子力学は物理学の応用という面に向かっている。その辺を明確にFさんは指摘する。つまり現代物理学は量子が意識によって特異な動きをする事を突き止めたがどの程度精神に影響するかはまだ未知なところなのだ。このところはこれからの論点で非常に楽しみなところだ。
私の観点から言うと西洋の科学の最先端は量子のレベルから精神の世界に気づき始めている。日本は古代に深く理解し、それらを認識したがゆえに高い精神に達したその遺産を忘れて手放してゆく。そんなところだと思う。