白雲の道

[No.45]適応力

Date:2003年09月25日(木)

9月25日(木)曇り
自然の中で自然は生きている。人は人の中で生きている。人は人工的に造られた人工環境の中で生きているからだ。しかし両方共、月あたりから見ると自然の中で生きている事になる。地球自体が自然だからだ。
自然の中で生きている動物や魚、特にまだ人間の力が及ばない大海原の中で生きている鯨やサメなどは人から見ると随分と優雅な生き方をしている。私たちの食料は腐らないように添加物や着色料が入ったものが殆どだが,彼らは生きたままほうばって食べているし、住むためのマンションを購入するために働く事もない。生きている事が遊びのようだ。
もし、私たちの身体自体が暑さや寒さに対してもっと適応力があって外で寝ても気持ちよく眠れるとしたらアメリカのインデイアン程度の住居で十分だったかもしれない。雨風のときだけその中に入っていればいい。
それは優雅だ。星空が天井なのだからこれほどすごい寝室はない。しかしそれは可哀想だと言う。実際はその環境で眠れないほど虚弱な体力しかない方が可哀想なのにその事に同意してしまった。
私たちの今の文化は外側の環境を変えることに躍起になっていて自然に適応できる能力を身につけて行くことはあまり考えていない。
おそらくこの所が古代の日本人とは大きく異なる。彼らは彼ら自身が自然だけではなく自然を取り巻くエネルギーの中に意識的な適応力をつけていった人たちだ。
本当に優雅な生き方は何なのか。鯨が小さなプールの中で長生きした一生を終えるとしたらちょっと可哀想に感じるし、鶏が籠の中で人工的な栄養のあるえさを生きている間中、安定して与えられたとしてもその状態で一生を終えるのはやっぱり可哀想な感じだ。
では人が人工の加工食品と安全な環境で生き長らえたとして幸せだろうか。それも人の場合はそのために労働する。
エアコンを一日中つけっぱなしで空気清浄機が完璧に働いている部屋が優雅かもしれないが,その中でしか眠れないとしたらその人は幸せとはいえない。
身体が丈夫なうちはいいが,もし弱って病気にでもなって寒さの中で死んでしまったとすると、それは可哀想かもしれない。
優雅さを外の環境に求めるか,それとも自分の身体に求めるか。外に求めるとお金がかかり自分の中に求めると努力が必要だ。賢明な人はその両方を程ほどに得ようとするが,これがなかなか難しい。
夕方遅く以前日誌の最初の頃、自然な人で紹介したSさんがやって来た。Sさんは決まって週に1回健康管理のためにやって来る。
軽い鍼灸によるバランス調整をして雑談。
どうですか。最近の調子は?まあまあです。健康診断ですべてAと言う評価を得ているのは知っている。最近はダイエットをして10キロほど艶艶な細身になっていて心身ともに健康だ。しかし昔患った胃潰瘍をちょっと気にかけているらしい。
私だったら20年ほど行った事がないが,健康診断で全てAと言う評価を得たら万ばんざいで暴飲暴食をするところだがSさんはいつも中庸だ。
逆に大地震なんかがあって大変な事になったったとしてもSさんはそれほどあせらずにじっくりと構える方だと思う。この前のイラク戦争の時も私は大変だ大変だ,これから何が起こるか分からないという感じで騒いでいたが,Sさんはじっくりと状況を判断していた。
賢明な人はいつも中庸にいる。中庸とは右よりでもない左よりでもない。騒ぐわけでもないが大人し過ぎるわけでもない。そんなSさん,もう数年で退職するらしい。そのための準備もほとんど整っている。うらやましい限りだ。