白雲の道

[No.48]あたたかさ

Date:2003年09月28日(日)

9月28日(日)天候晴れ
私の動物好きは子供の頃からだ。子供の頃から身体の体温が高いのか湯たんぽのようだと父親に重宝がられたのを覚えているが、それを知ってか寒い夜は猫が決まって私の布団の中に入ってきていた。
犬も大好きで北海道の冬、ぽつんと一軒ある家の周りには見渡す限り雪野原でその雪の中を犬と走り回って遊んでいた。あの爽快感は今でも忘れない。特に犬が私よりすごいぞと言わんばかりに走り回るその姿は観ているだけでも可愛くて同時に爽快だった。
そんな愛犬が保健所に連れて行かれてしまった事がある。犬があまりにも喜んで走り廻るものだから私は時々鎖をといて放してやっていた。
私が学校に行く間は繋いでおくのだが,犬はその本性で自由に走りたくてしようがない。その鎖をたまたま外れて走り回っていたところに郵便配達の人が出くわした。その配達人がスキーを履きながら逃げ惑うものだから犬の方も私と遊ぶように追いかけたりじゃれついたらしい。
その郵便配達人はよっぽど犬嫌いだったのか噛みついた事がない柔な犬でも恐ろしかったのだろう。帰って保健所に訴えたらしい学校から帰ってきたら犬がいない。
母親が私を見つけると辛そうな表情を浮かべて保健所が来て連れて行った事を話してくれた。私は激しい怒りを感じながら犬小屋を見てどうするべきか考え込んだ。
母親が心配して後から私の肩に手をかけている。その感じから犬はもう帰ってこないことを知った。その事で怒りがやるせないものに変わっていき、友達の少ない田舎では友達以上に友達だった愛犬の表情やいっしょにじゃれまわった感触が戻って来た。
その1年前父親を亡くした14歳の冬の出来事だ。涙が止めどもなく溢れ始めどうすることも出来ない。父親が逝ったときはその事がまだ実感がなかった事もありそれほどの涙が溢れる事はなかった。
しかし今回は違っていた。それを観て母親は後ろから腕を廻して肩を抱いていた。そのからだに染み込む熱さをはっきりと覚えている。その後も何日もそのやるせない思いは続いたが母親の気持ちはあまり言葉が交わされなかったが,理解していた。いやそれ以上に母親の深さがあの熱さを通して私の心を癒していた。
犬やねこ、うま、やぎや鶏、動物達はみんなあったかい。みんな言葉は話さないが,みんな母親のあったかさのようなものを生まれながらに持っていると思う。そんな意味でも動物は下等ではないし人間が支配するべきものでもない。
朝早くこの日誌のゆったり人生で登場してもらったMさんがやって来た。
軽い鍼灸によるバランス調整の後、煎れ立てのコーヒを飲みながら雑談。
最近何か変わった事でもありますか。いや相変わらずだ。でもいろいろと忙しい。
Mさんは歴史物が好きで良くその話になる。今日も図書館に行って本を何冊か借りてくるらしい。
私は最近古代日本の事を日誌に書いたりしているんですよ。神とか女神とかいろいろ思いを馳せているんです。その辺は分からないなあ。それで話は切れてしまった。彼の好きな歴史は主に戦国の時代だ。
しかし旅に出た犬の話をしたらMさんはにっこりしてのり出した。僕も動物は好きで今猫がいる。その猫は前足が片方ない。どうしてですかと聞くと。一年程前外でふと見ると歩き方がヘンな小ねこがMさんを見上げて泣いていたらしい。えさをやると腹を減らしていたようで片足でがっついて食べそれを観て可愛くなったようだ。それからなついてそのまま家にいるとの事だ。
Mさん、その話になると顔までねこに見えてくるぐらい幸せな感じでいつまでも話していたい様子だ。その表情を見てそのねこも幸せだろうなと思った。Mさんも動物好きだったか。