白雲の道

[No.58]命の卵が転がって行く

Date:2003年10月10日(金)

10月10日(金)天候晴れ
私はいつも不思議に思っている。鶏は卵を沢山産んでくれるが,あの籠の中でその一生を終わる。子供の頃庭には30羽ほどの鶏がいたが,彼らは高くはないが時々空中を飛んでいた。
そしてその中にオス鳥もいて,朝方コケコッコーと元気良く夜が明けた事を告げていた。そういう鶏の生活を知っているがために今の鶏の一生を思うと不思議に思う。
彼らは幸せなのか。自分で産んだ卵をその熱い胸に抱けもしない。生んだが早いか転がって行ってしまうからだ。しかし彼らは無頓着に淡々と生きている。
もし彼らが人の言葉を理解したとして彼らにあなた達は本当は森の中で自由に飛び回って、生きたえさを食べていたんだ。だから森に連れて行ってあげようかと言うと,彼らを怒るだろう。ほっといてくれ。
それでも本当は飛べるんだよと言ったりすると悪魔のささやきのように聞こえるかもしれない。そして買主に言いつけるだろう。わたしたちをそそぬかす者がいる。わたしたちをだまそうとしている。あの人は下心があるに違いない。私はこんなに美しいのだから。
私はこの話を人の世界とダブらせている。
どうして自分が産んだ卵が転がっていくのにその鶏は気がつかないのだろうか。どうして本性に焦点を当てると鶏は疑いでいっぱいになるのか。
どうして自分の思いが空想で消えてゆく時に生命の卵が転がって行くのに気がつかないのか。どうして本質的な性や本性の問題に目を向けると人は疑いでいっぱいになるのか。
夕暮れが始まろうとする頃あの元気のいいスポーツウーマンHさんがやって来た。彼女はこの日誌に素朴に疑問を投げかけてもらってその聞き役になってもらう事になっている。
軽いバランス調整とイメージトレーニングの後雑談。
最近どうだい調子は。いいですよ。この前のバスケの試合は身体が軽くてすこぶる調子が良かった。そう言って近くに置いてあった握力計で握力を測っている。以前より3キロぐらい増えていた。最近イメージを使って筋力を上げるトレーニングをしているんです。効果を確かめてうれしそうだ。
最近の日誌読んであげようか。はい。そうかそんなに読みたいか。先生が読んで聞かせたいんじゃないですか。まあ。そんなところさ。そう言っていくつかを読んであげた。
面白い?面白い。ちょっと難しいところもあるけど面白いです。子供の頃から疑問に思っていた事がいくつか理解できた感じです。どんなところ。それはうまく説明できないけど子供の頃から自分を信じたいところがあって、今まで自分を信じて来てよかったと言う感じかな。よくわかるよ。グッドだね。
ところで、この日誌に関係なくてもいいんだけど、女神への決断をした者として自分に必要な質問をしてくれないかな。
何でもいいんですか。それじゃ夫婦関係がどうして継続が難しいか。それに性と愛がどんな関係があるか。最近メル友ですぐに出来ちゃう人たちも多いでしょう。この事をどんな風に考えているか。
すごい本質的な所だね。これは直感的な女性ならではの疑問だ。
ここに多くの人が失恋やセックスレス夫婦の問題で来られるが,この問題はあまりにも微妙だ。誰が悪いわけでもなく、かといって問題がないわけではない。
ここには男も女もちょっとした矛盾がある。本質的なところに踏み込むことはだれもそれ程求めてはいない。ちょうど本能的に空を見上げてむなしさを感じながらも籠から出るのを拒む鶏のようだ。
だが性と愛の問題は明確に言える事がある。性には陰と陽の極性がある。愛には極性がない。わたし達のこの世界には極性がある。極性から始まり極性のないより創造的なものに進化するのは自然な事だ。
しかし,逆に極性のない無私の愛から極性の中に舞降りる事も自然だ。本当に愛と性を理解し自由な人たちはこの間を自由に行き来する。愛を肯定し性を否定する事でもなく,その反対でもない。
わたし達はこの世界の陰と陽が自分の中で交わらないとこの自由を生きる事は難しい。自由は常に第3者であるからだ。これはエネルギーと言う実質的なことでありメルトモが悪い分けではないが,安易な関係や空想の世界では不可能だ。それでは鶏の卵が転がっていくことに等しくなる。