白雲の道

[No.60]イメージの変換

Date:2003年10月12日(日)

10月12日(日)雨
イメージは使うものであって使われるものではない。イメージを実質的なものに変換すると大きな力になるが、逆にイメージでいっぱいになると翻弄される。それではそのイメージをどのように変換するのか。それは意識と無意識と間にある暗い川に橋をかける事から始める。
ではどんな風にその橋をかけるのか。こんな感じで橋はかけられる。
ある商人が沢山の荷物を数人の連れに持たせて江戸に向かっている。しかしその目の前に幅が15メートル程だが深く急な川が立ふさがっている。
彼らは何回もこの川を渡り舟を頼んで行き来しているが,思い切ってこの商人はここに橋をかけることにした。
船もなく橋の専門家でもない彼らはどうやって橋をかけるか。彼らはこんな風に橋をかけた。荷物の中にある長い紐を向こう岸にいる人に投げつけそれを何回も繰り返した。
十分な強度を持ったひもの橋ができたが,人や荷物が通れるほどのものではない。今度はその紐に乗せてちょっと太目の木を30本ほどを見つけて渡しつなげた。
軽い人がやっと渡れるほどの強度になったところで今度は太く長い大木を数本周りの山から切り倒し、その弱弱しい木の橋をガイドにして渡した。
それが荷物を運ぶのに十分な強度になったところで紐や細い木を取り除いて商人でありながら立派に橋をかけた。その商人は始めに使った紐を江戸で売れるようにきれいに束ね荷物の中にしまった。
彼はとても利口だ。最初からあせらず、着実に事を成した。そして自分の売るべき商品でさえ使いそれを売れるほどにやさしく扱った。
だれもか細い紐が人や荷物を渡すほどの橋になるとは思わない。しかしそれがなければ端をかけるのは難しかっただろう。
わたし達は無意識に橋かけるのための紐を持っている。その紐とは意識のことだ。何回も何回も、失敗しても投げかける紐。それは紐と言うより見えない程細い糸。それより更にか細い。しかし橋はかかるのだ。
その商人は江戸に多くの商品を持ち込み多くの財を引き出している。江戸にはないものが田舎にはある。田舎にはないものが江戸にはあるからだ。
同じように意識しても出来ない事が無意識には容易に出来るものがある。しかし意識には出来て無意識に出来ないものがある。それは橋をかける事、そしてイメージと言う荷物を無意識に届ける事。無意識はすばらしいものを投げ返す。
今日は日曜で午前のみの診療だ。午後の終わりごろにやっと鍼をしてくれるところを見つけました。と言ってやってきたAさん。
軽い鍼灸によるバランス調整の後雑談。
どうですか鍼をした後の感じは。いいですよ。違いが分かります。鍼をした後重心動揺装置に乗ってもらった。足の接地から骨盤や身体の軸がどのようかが分かる仕組みになって入る。それによってまあまあ良くなっていることは確かめた。
いい筋をしているので今までかなり運動していたんではないですか。分かりますか。ええ。身体の軸が今はズレガ在りますが,本来の位置からするとかなり運動能力は高いはずだ。わかりますか。昔陸上で鍛えてましたから。
聞いてみると、短距離走者の全日本選手で記録も持っており本格的なトレーニングを積んできたらしい。
イメージトレーニングも以前オリンピック選手に混じって行なっていたようだ。イメージトレーニングの後に不思議に記録が伸びた事があってその効果は知っている。
次回、今のちょっとした身体のずれをイメージでも動かせるようにトレーニングも同時にやっていきましょうと提言した。面白そうですね。とちょっとした期待感を持ってくれたようなので、そのちょっとしたさわりだけを紹介した。
それはイメージを後頭部の小脳に置くんですよ。分かります。運動能力は小脳が関係している事は運動をしていて感じています。なるほど彼は直観力も優れているようだ。わたしも愉しきなってきた。