白雲の道

[No.67]天才の領域

Date:2003年10月21日(火)

10月21日(火)天候晴れ
私たちはみんな天才だ。それを信じられるだろうか。
私たちは本来みんな天才だ。それなら信じられるだろうか。
私たちはみんな天才の可能性がある。それなら信じられないだろうか。
私たちはみんな天才だった。それなら同意するだろうか。
私たちはみんな天才になる可能性があった。それなら同意するだろう。
周りにはあまりいないが,外国にいると自国語だけでなく,他の国の言葉を3ヶ国語ぐらいを流暢に話す人たちがけっこういる。
もし、自分の子供や周りの人が5ヶ国語を流暢に話し始めたら驚くだろう。しかし,ちょっと考えてみると私たちが日本語を話し理解したのは子供の頃だが,その時、多国籍の環境にいればそれは可能だった。
ではその時私たちは天才だったに違いない。そのときは基準になる自国語も知らず辞書もない状態で理解し,話せるようになる可能性があったのだから。
私たちはみんな確かに天才のようだった時があったに違いないが、その可能性が年をとると消えてしまうと私たちは考えている,
それは本当だろうか。
確かに語学や音楽、数学などをこれから習得すると言うのは難しいかもしれない。しかし自分の身体を眠る事でヒーリングしたり人生を夢見る事で創造する能力は今もっている。
ならば人はみんな天才の可能性を今にもっている。誰しも良きにつけ悪しきにつけ生きているし,人生を創造している。ノートも使わず,辞書も使わないで直感に映して既に創造している。ちょうど生まれたばかりの状態、つまりからだ全体で観ていた時と同じ直感を使っている。生まれたばかりの状態は見ていたのでもなく、考えていたのでもなく,ただ観ていた。その事で無意識からエネルギーが波のように返って来た。同じ事を今もやっている。
世の中に多くの天才がいるが,彼らは全てのレベルで天才なわけではない。ある者は音楽はすばらしいが,運動能力はからっきしだめだったり,絵画の天才が音痴だったりする。
しかし共通して言える事はその分野においては理屈では考えられない速さと正確な直感力を持っている。それはやまびこのように無意識から返ってきたものだ。
人生を創造することは理屈を超えたところであり,直感がその道具になっている。誰の人生も偶然の積み重ねかだが,その偶然は無意識からやってきたものであり,天才のように速くはないが,正確だとは思わないだろうか。だとしたら私たちは天才の領域からそれ程遠くには出ていない。
暗くなりかけた頃今までに何回も登場してもらっている人形作りのTさんがやって来た。
軽いバランス調整とイメージトレーニングの後雑談。
彼女は以前にも紹介したが,天才の領域から出た事がないぐらいその直観力はすばらしい。
どうだい最近忙しい。いえ、そうでもありません。新しい小説はまだ書き始めてないの?
まだですが,以前賞をもらったところに記事を書くことになってそれを最近、書き始めたところです。
コーヒーを飲みながらも一つの世界を持っているような雰囲気がある。
私たちはいつも何かを創造している。それが幸せであったり,不幸であったり,成功であったり。どんなものでも自分の前にあるものは自分で創造したものだと認めたとき創造はスリルに満ちたものになる。荒っぽい助手席で恐怖におののきながら座っているのと自分が運転している違いは大きなものだ。
Tさんは驚く事に23歳で独自の世界をジェット機のような乗り物で縦横無人にかけ巡っている。さぞ愉しい事だろう。