白雲の道

[No.82]意識と量子

Date:2003年11月07日(金)

11月7日(金)天候晴れ
虚空とこの世界、この陰と陽の世界に共通したものがある。それは意識と量子だ。りょうこではない。りょうしだ。この量子は物質の中のもっとも小さな粒子。素粒子とも呼ばれている。
この量子は不思議な動きをする。科学的にもそれは確認されているが、それは意識される事によって変化する性質を持っている。また逆に意識されない事でも変化するが、それはこの世界から見ると崩壊すると言った方が分かり易い。
例えば長年住んでいた家を5年ほど誰にも貸さずに空けていたとする。帰って来て家を見てみると当然家の中はほこりだらけだが、ここで不思議なことに気がつくかもしれない。
それは床や壁をちょっとつっついたり、たたいたりすると崩れ落ちる事が多い。天井なども垂れ下がっている事がある。もし人が住んでいるとすると20年経っても床や壁が崩れ落ちる事はないのに、人が住んでいないとどうしてそんなに脆いのだろうか。
家具や人形なども物置深くしまいこんだ物は部屋に見えるように置いてあったり、飾ってある物と比べると脆く崩れてしまう事が多い。
これはなぜだろうか。
それはその物質そのものが崩壊している。これは人も同じだ.
なぜ注目を浴びる俳優やスターが輝いて見えるのか。なぜ裏方の人たちは輝いて見えないのか。これをもっと極端に展開するとなぜ人は死ぬとくすんで見えてしまうのか。
観察する者つまり観る者が関係している。観る者がいないと物質はそのもっとも小さな粒子から崩壊を始める。
逆に遡ると意識して観察される物は活気づけられることになる。これは物に限った事ではない。虚空に存在している精神もその例外ではない。なぜなら意識と量子は二つの世界にまたがっているからだ。
ある人は辛い失恋を思い、そのきっかけになった自分の行動を責めている。
ある人は失恋に終わったが,その中の甘い思い出に心を遊ばせている。
ある人はまともな恋と言えるような事も失恋もなかったが、無事に過ぎ去った日々を感謝の念を込めて思っている。
これらの思いは身体の中の虚空で活気づいている。
これはなぜ外側ではなく身体の中なのだろうか。虚空に内側や外側があるのだろうか。
午後の終わり、以前日誌の包丁を研ぐで紹介した架空の人Tさんがやって来た。
軽い調整とイメージトレーニングの後雑談。
ここに来るのは久しぶりだね。ええ、2ヶ月ぶりぐらいかな。いろんな事がありましたよ。
どんな事が。仕事も変わったけど,一番変わったのは彼氏との関係かな。今度結婚することになったんです。
それはすごい。それでウキウキしているように見えるのか。
先生に以前、人間関係であなたが問題だと言われて包丁の話をしてくれましたよね。あれから人間関係でもつれると頭の中に包丁が出てくるんですよ。わたしの切れが悪いかと思うようになって、そう思っているうちに周りの何かが変わっていくんですよ。あれだけ反対していた両親が結婚を勧めるぐらいの変わり様なんです。
それは、私も驚きだ。それはきっと自己嫌悪のような思いが、その包丁と入れ替わったのかもしれないな。そんな感じです。きっと料理のうまいいい奥さんになるかもね。その包丁使いが見えるようだと彼女流の包丁を使っている仕草をしている。彼女のいつもの割れるような笑いが以前よりも勢いを増して響き渡った。
不思議な事に内側の虚空は外側の出来事と陰陽の交合をしている。