白雲の道

[No.84]女神の術

Date:2003年11月9日(日)

11月9日(日)天候晴れ
陰陽のリズムは躊躇することなく、平然と音もなく動いてゆく。しかし人の心は躊躇し,迷いながら動いている。それはそれで自然だ。
太陽が躊躇しながら動き、地球が平然としていてもおかしな事だ。同じように身体が躊躇して心が平然としているのもおかしな話だ。
車の中の人は平然として運転しているが,車の方はエンジンやタイヤがそれぞれにあるシンプルで正確な軌道を描きながら勢い良く回っている。
心は躊躇し,模索しながら動いているのは自然な事だが,早いうちにその軌道がより,シンプルで正確なものに決められていかなくてはならない。
こんな所から今は眠っているかも知れない女神は小脳に居ていったい何をしようとしているか説明してみよう。それはこんな事だ。
ある人は時にすばらしく生きたいと思っている。
同じその人は時々もう死にたいと思う事がある。
またその人は強そうな自分を守ってくれる会社や人のそばで媚を売ったとしても愛されて生きたいと思っている。
しかしまたある時はうっとうしく愛されるより自分の方から愛して生きたいとも思う。
女神と表現しているこの広大な虚空はこれら全てを現実にするための能力を既に有しているが、そこにやってきているイメージは今だ相反した矛盾を抱えている。もしこれらがこの虚空の中に入るとこれら全部がいっしょに現実の方向に動きだす。
その時、現実は引き裂かれながらも混沌としてしまうだろう。私たちのイメージは今だ洗練されていない。だから女神もその力を自律神経を失調させながら制限せざるをえない。
私たちは女神に簡単なイメージを投げかけそれが思いのほか正確に投げ返してくれる事を観、理解しなければならない。その事がないのに盲目的に女神を信じそれを本物にすることは誰にも出来ない。
もしイメージがその一部でも現実になっていることを観るならイメージを洗練する必要があることをすぐに認めるだろう。
ある3歳ぐらいの子供に野球を教えようとした時、親だったら誰でも見様見真似でバットを振り回させるだけでなく,ボールをバットに当てそれが飛んでいくのをその子供に見せるようにする。
その事で幼いながらも自分との信頼が始まる。そうこうしている内にバットの振りはシンプルで素早いものになってゆく。
その中でイメージがより洗練されより現実に近くなってゆくが、これと同じような事をイメージトレーニングの中で行なっている。
自分が女神だと思いっきり力んで思い込んでも現実にはならないのはバットを振った事がない大人が松井選手のようにボールが飛んでゆくとバッターボックスに立って思いっきり願っているような事だ。
午前の終了間際、ちょっと引きこもりぎみだったらしい架空の人Zさんがやって来た。
初歩的なイメージトレーニングとトラウマを調べての調整の後雑談。
どうですか。イメージトレーニングは面白いですか。はい、思っていた以上に不思議で面白いです。先生の日誌の女神への決断をホームページで読んだ時からここに来ようと思っていたんですが,来て良かったと思います。
それは私にとってもとってもうれしい事です。ここに来る前の想像と今とで何が一番、違ったところだと思う。
それはどう言ったらいいかわかりませんが,わたしの場合は今まで自分は女神だと強く思い込めば女神になるんだという気負いが全てのような所があったのですが,それではだめなのが分かって逆に清清した感じがあります。それは的を得た感じですね。
信念の魔術と言う言葉があるが、それは男性的な道で、それに対してこれは女性的な女神の術だ。信念は固めてゆくことだが,信頼は女神のようにその翼を広大な虚空に広げてゆく。