白雲の道

[No.89]理論派と直観派

Date:2003年11月15日(土)

11月15日(土)天候雨
ある星も見えない真っ暗な深い森の中を迷いながら懐中電灯一つで歩いている二人の男性。一人は議論させると決して負けない理論派、もう一人は直観で生きる私のような治療師。
懐中電灯を持って先に歩いているのは理論派の男性。その後を直観派の男性が歩いている。彼らの前を覆うように木の枝が突き出している。
その時ぱらぱらと雨が降り出し、遠くで雷の音が聞こえ始めた。しばらくしたところでその雷が急に近くに落ちたらしくものすごい音がした。その瞬間、理論派の男性は驚いて飛び上がりざまに懐中電灯を小枝にぶつけ壊してしまった。
あたりは一寸先も見えない程の真っ暗やみになってしまったが、それをきっかけに今度は直感派の男性が前になって歩くようになった。
理論派の男性は稲妻が遠くに去ったにもかかわらず心配げに稲妻を見上げてなにやらつぶやいている。
直観派の男性は暗闇の中を物も言わず前にも増してどんどん歩いてゆく。理論派の男性はこんな暗闇でこんなに速く歩くのは危険だと言いながらも洋服を後ろからしっかりと握って離さない。しかし気がついたら二人はその森を抜け出してしまっていた。
直感派の男性はどうして真っ暗闇の中を歩けたのだろうか。
答えはこのようだ。
彼は暗視力があったのではない。
彼は感で歩いていたのでもない。
彼は稲妻を見てはいなかったが森を観ていた。
彼は単純に遠くで光る稲妻のかすかな明るさで懐中電灯では観えない森全体を観、その残像を頼りに歩いていた。
彼は理論より実質的な人だ。
直感は感情的な反応である場合が多いが、直観は反応ではない。上記の事は直観そのものではないが、直観的な傾向は示している。不思議な事に定まったイメージに向かう時動きはスムーズで速くなる。
論理のすばらしい所は大変な可能性だが、欠点は真実がその前を通り過ぎていっても気がつかない。
朝早く腰をかばいながらHさんがやって来た。
鍼灸治療の後、雑談。
どうですか、鍼は。いいような感じです。ちょっとリアクションがあるかもしれませんから過度の運動は避けてください。
空手の練習もだめですか。今は腰椎がねじれた関節になって居ます。その状態でちょっとした努力もストレスになってしまいしますが、そのねじれが直ってきたら逆に少しずつストレスをかけて直した方が早く強くなります。
はりは西洋の医学とだいぶ違うようですが、何が違うのですか。
その違いは見方が違うだけで行なっている事はそれ程変りません。西洋医学は懐中電灯で痛みのあるところを見ている感じですが、鍼灸は身体全体のかすかな歪みを観ています。身体の歪みやねじれは部分的な見方より全体的な観方の方が良く観えるのです。なるほどとHさん。
身体が歪んでいる場合、部分に痛みが集中するが、部分が悪いのではなく全体のゆがみであるなら、全体を観る直観の視点が助けになる。
悪循環から抜け出すのは論理に頼るといつまでも迷いの中にいる事が多いが、直観は素早い。